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【歴史散策】「山城郷土資料館」へ

みなさん、こんばんは、こんにちは。

奈良時代における秦氏の足跡がわかるかなと思って、先日「山城郷土資料館」へ行ってきました。
実際は、そういったものはほとんど見受けられなかったのですが、代わりに面白いものをいくつか発見しました。

京都府立山城郷土資料館は、「こんなところに人が来るの?」と思ってしまうような静かな資料館でした……が!実はここ、考古学ファンや歴史研究者の間では、ある意味で非常に有名なスポットだそうです。

館内には次から次へと人がぽつぽつとやってきて、皆さん熱心に資料を見ていました。「知る人ぞ知る」名資料館なんだなぁと改めて感心しました。

参考サイト:京都府立山城郷土資料館

では、今回見つけたお宝のうち、特に印象的だった2つを紹介します。

1、三角縁神獣鏡

まず目を奪われたのが、「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」です。
これらは木津川市山城町にある「椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳」から出土した古墳時代前期のもので、現品は京都大学に所蔵されているそうです。一般的には、この鏡は「邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)の皇帝から贈られた100枚の鏡」の最有力候補として知られています。

さらに、これらの鏡が発掘された「椿井大塚山古墳」は、古墳時代前期(3世紀後半)のなかでも最古に位置づけられる代表的な前方後円墳。大正時代(※注:国鉄の法面工事)に偶然にも竪穴式石室が発見され、その後の調査でこの鏡を含む30面以上の銅鏡や多くの副葬品が出土し、一躍注目を浴びました。

実はこの「三角縁神獣鏡」、どこで作られたのかが現在も歴史学者などの間で意見が二分されているそうです。

説(論争)主な主張と根拠
① 中国産(魏鏡)説魏の皇帝が日本(倭国)向けに特注品として100枚作らせた。だから中国本土には残っていないし、成分分析をしても原料の鉛は中国産であるという主張。
② 日本産(国産)説「実は日本国内で作られた偽物(コピー)ではないか」という説。近年非常に有力。中国から1枚も出土していないこと、彫られた漢字に書き間違いや反転(鏡文字)が目立つこと、同じ型から異常なほど大量生産されていることが根拠。

この二つの意見は、おそらく決着がなかなかつかないのではないかと思いますが、私自身は国産説に軍配をあげたいと思います。

2、木造牛頭天王坐像

もう一つ目についたのが、非常に独特で、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを持つ「木造牛頭天王(ごずてんのう)坐像」です。

解説によると、牛頭天王のルーツはインド。お釈迦様が説法を行ったとされるインドの「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」の守護神と言われています。それが日本に伝わった際、日本神話で最も荒々しくパワフルな神様である「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」と合体(同一視)しました。

この神様は、ズバリ「疫病(感染症)をコントロールする神様」です。
昔の人は、恐ろしい感染症(天然痘など)は目に見えない悪霊や疫神がもたらすと考えました。そこで、「もっと強い牛頭天王のパワーで疫病を追い払ってもらおう」と激しく信仰したのです。京都の有名な「祇園祭(八坂神社)」も、もともとはこの牛頭天王を祀って疫病を鎮めるために始まったお祭りだそう。

これを知ったとき、私は思わず「コロナ禍」の記憶が頭をよぎりました。
どの時代も、病気は人々の悩みの種であり、特に疫病や感染症は常に私たちとともにあったんだなぁと、時を越えたつながりを感じずにはいられませんでした。

まとめ:山城の地に眠る歴史の記憶

当初の目的だった秦氏の足跡こそ見つかりませんでしたが、結果として非常に興味深い歴史散策になりました。

今回ご紹介したものの他にも、資料館には近くの加茂町で作られていたという日本初の本格流通貨幣「和同開珎」の鋳型なども展示されており、この山城という地域が、古代日本においていかに重要な「拠点」だったかを肌で感じることができます。

ちなみに今回、個人的に嬉しいサプライズだったのが、資料館で「柿渋(かきしぶ)の液」が販売されていたことです。かねてから柿渋染めもやってみたいと思っていたので、思いがけずこの場所で購入することができました。古くから防腐や染料として日本の暮らしを支えてきた柿渋に、資料館という場所で出会えたのも面白い縁だと感じています。

3世紀の古墳に眠っていた鏡のミステリー、中世の人々が疫病退散を祈った神像、そして現代の暮らしにもつながる柿渋の智慧。

地元にひっそりと佇む山城郷土資料館ですが、地域の歴史の深さにどっぷりと浸かることができる、まさに「知る人ぞ知る」名所でした。