
今日は、京都に「布」を買い求めに行きました。
先日から作っている草木染めの布が溜まってきたので、それに合わせるための特別な一枚を探しに。
京都の「布」と、秦氏の足跡
京都といえば、西陣織をはじめとするテキスタイルの聖地ですが、私にとって最近の京都といえば、そのルーツを司る「秦氏(はたうじ)」の存在が切り離せません。
先日は、木嶋坐天照御魂神社から大酒神社、そして広隆寺へとお参りし、彼らの足跡を辿ってきました。 秦氏は養蚕や土木を日本にもたらしたとされる渡来系集団ですが、大酒神社の由緒書きを目にしたとき、私はある「引っかかり」を感じました。

「弓月王(ゆづききみ)が、応神天皇14年(372年)百済より127県の民衆1万8670人余りを統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す……」
1万8670人がもたらした「OSの書き換え」
この「1万8670人」という具体的な数字を改めて眺めた時、ある違和感が芽生えました。
当時の日本の推定人口(約150万〜200万人前後)を考えれば、これは全人口の約1%に相当する巨大な集団です。現代に置き換えれば、100万人以上の高度技術者が一気に移住してくるようなものでしょう。
彼らを運んだ船団の規模、持ち込まれた養蚕の機械、そして鉄を操る道具たち。 彼らは圧倒的な「パワーと知恵」を携えたエンジニア集団としてこの国に上陸したのではないか? そして、当時の日本の社会システム(OS)を書き換えつつ、日本の土壌に新しい未来の種を蒔いたのではないか……。そして私たちは今、長い年月を経て芽吹き育ったその文化の恩恵を受けて生きている。そのエネルギーが、由緒書きの行間から立ち上がってくるのを感じました。
「歴史は繰り返さないが韻を踏む」。
今、私たちの周りで起きている変化も、どこかあの時代とシンクロしている。そんな予感が、静かに胸の中に広がりました。
聖徳太子の「和」に込めた願い
秦河勝が聖徳太子のブレーンとして、財政や外交、仏教伝来を支えたことは広く知られています。
聖徳太子の言葉として有名な「和を以て貴しと為す」。
これも私の類推ですが、これほど強力な異能集団が流入すれば、そこには計り知れないポジティブなパワーとともに、摩擦や混乱もあった可能性が考えられます。その荒波を乗り越え、調和するための切実な祈りが、あの言葉には込められていたのかもしれない――。そんな当時の風景が、ふと頭をよぎりました。
「今昔西村」と「ちんぎれや」を巡って

そんな歴史の余韻を抱きながら、今日訪ねたのは「和漢洋古代裂 今昔西村」さんです。 凛とした門構えに少し気後れしながらも、思い切って引き戸を開けると、店主の方が温かく出迎えてくれました。 入り口近くに置かれた古布の数々。どれも素晴らしい柄で迷いましたが、第一印象で直感したものをいくつか買い求めました。
続いて訪れたのは、「ちんぎれや」さん。 こちらでも、時を止めたような美しい古代布に出会いました。手に入れたのは、明治時代のものと、江戸時代の「堺更紗(さかいさらさ)」です。堺更紗は一目見ただけで心を射抜かれ、即決でした。

時代を縫い合わせる「手仕事」の始まり
先日、セージで染めた麻布が、すごく綺麗なレモン色に染まりました。 この鮮やかな色に、今日手に入れた江戸の更紗を合わせて、ポーチを作ろうと思っています。
手に取った布の糸を辿れば、約1600年前に弓月王が命がけで運んできた「文明」の始まりに突き当たります。時を超えて私の元へ届いた明治や江戸の布、そして自ら染めた麻布。これらを針で縫い合わせる時間は、この土地に流れる長い時間を繋ぎ合わせ、秦氏が書き換えたOSの上で新しい物語を紡ぐ作業なのかもしれません。
残りの布たちは、これからゆっくりと布合わせを考える予定です。 京都の深い歴史と、手の中にある古布の温もり。どちらも、私の興味を惹きつけて止みません。
アーティスト・作家|歴史や世界の深淵を読み解き、新しい生き方の景色へと翻訳することを私のライフワーク(しごと)としています。|詳細のプロフィールはこちら